2022-11-13

鈍舟の通武揶気:「武士の嗜み・謡曲」

謡曲は昔の武士の教養の一つでもあった。
しかも全国各地から来た武士にとって方言は通じ難く、謡曲言葉が共理解の役を果たしたともいわれる。
幕府は能楽を式楽とし、将軍自ら舞ったり、家臣たちにも謡曲を勧めた。
そのため能楽師に扶持を与えて生活を保障した。
武道家と共に能楽師や茶道の師匠達が城に呼ばれたのである。
これに倣う裕福な藩も出てくる。
このような状況下で明治維新を迎え幕府が崩壊したため、職を失い、路頭に迷う者も出たのである。
この時が能楽の危機であった。

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